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神戸地方裁判所 平成元年(ワ)988号 判決 1990年7月20日

原告(反訴被告)

都市交通株式会社

被告(反訴原告)

永井昭三

主文

一  別紙事故目録記載の交通事故に基づく原告(反訴被告)の被告(反訴原告)に対する損害賠償債務は存在しないことを確認する。

二  被告(反訴原告)の反訴請求を棄却する。

三  訴訟費用は、本訴反訴を通じ被告(反訴原告)の負担とする。

事実

(以下原告(反訴被告)を「原告」、被告(反訴原告)を「被告」という。)

第一当事者の求めた裁判

(本訴について)

一  請求の趣旨

1 主文第一項と同旨

2 訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

1 原告の請求を棄却する。

2 訴訟費用は原告の負担とする。

(反訴について)

一  反訴請求の趣旨

1 原告は、被告に対し、金三七万九八四二円及びこれに対する平成元年五月一一日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

2 訴訟費用は原告の負担とする。

二  反訴請求の趣旨に対する答弁

1 主文第二項と同旨

2 訴訟費用は被告の負担とする。

第二当事者の主張

(本訴について)

一  請求原因

1 別紙事故目録記載の交通事故(以下「本件事故」という。)が発生した。

2 原告は、加害車の運行供用者として、自賠法三条により、被告に損害があれば、その賠償をすべき責任がある。

3 しかし、本件事故は、加害車も被害車も停止していたところ、加害車が、ブレーキペダルから足が外れたため、バツクギヤのままで約三・六メートルの距離を後退し、後方に停止していた被害車に逆突したもので、その衝突速度は時速約二ないし三キロメートル程度であり、加害車の後部バンパーにはまつたく衝突の痕跡はないし、被害車のバンパーにも変形や衝突の痕跡は認められず、せいぜい擦過痕程度に止まつており、しかも、衝突の際被害車が後方へ押し出された事実もないなど非常に軽微な事故である。しかして、停止中の車両の前部に後退車両が衝突したとしても、衝突された停止車両が、その衝突で後方に押し出されることなく停止したままであれば、停止車両に加速度は加わらないから、乗員の頸部には何らの外力も加わらず、頸部に鞭打ち運動が生ずる余地もないし、被追突車のバンパーの損傷に止まらず、車両本体が小破(車体変形一〇センチメートル)しているときにはじめて鞭打ち運動による受傷の可能性が生ずるとされているから、被告が傷害を負うようなことはあり得ない。

なお、医師の診断は、事故状況、衝撃の程度、打撲の有無を確認せず、被告の愁訴のみに基づいて判断されたもので、信用性を欠くものというべきである。

4 ところが、被告は、本件事故により傷害を負つたと主張し、原告に対し、右傷害に伴う損害賠償金の支払いを求めている。

5 よつて、原告は、本件事故に基づく原告の被告に対する損害賠償債務が存在しないことの確認を求める。

二  請求原因に対する認否

1 請求原因1及び2の事実は認める。

2 同3の事実は争う。

3 同4の事実は認める。

(反訴について)

一  反訴請求原因

1 交通事故の発生

本訴請求原因1の事実と同一であるから、これを引用する。

2 原告の責任原因

原告は、加害車を自己のために運行の用に供していたものであるから、被告の人身損害につき自賠法三条による損害賠償責任がある。

3 被告の受傷及び治療経過

(一) 傷病名

(1) 被告は、本件事故により、頸椎捻挫、腰椎捻挫の傷害を受けた。

(2) 被告の本件受傷が本件事故によつて生じたものであることは、次の理由により明らかである。

イ 本件事故時及び実況見分時、現場に臨場した警察官は、加害車の後部バンパーに凹損もしくは曲損が存在すること、被害車についても同様に前部バンパーに凹損が存在していることを現認している。

ロ 加害車を運転していた古池は、本件事故当時、ギヤをバツクに入れ、自己の意思で加害車を後退させたものであつて、傾斜地でもない本件事故現場で、マニユアル車が、ブレーキペダルから足が離れたくらいで自然に後退するなどということは起こり得ないし、右後退の速度にしても、古池は、かなりの速度で後退し、加害車の進路を変更しようとしたものである。

ハ 本件衝突時の衝撃についても、被告本人の供述によると、「当たつた瞬間、身体がガクンときた」、「ボーンと当たつた」と表現し得る程度のものであり、そのため、被告の「頭が揺れ」、「腰も動いた(しやくられた)」ほか、「ヘツドレストに頸を打ち」、「ハンドルに胸がすこし当たつた」のであつて、右ロの衝突態様からすると、被告の身体に右のような衝撃が加わることは何ら不自然ではなく、衝突後被害車の位置が異動しなかつたことは、右結論を左右するものではない。

ニ なお、被告は、本件事故から約一時間後に痛みを感じ、頭痛と腰痛を訴えて医者の診察を受け、その症状も、頭が重苦しい、頭痛、腰痛、吐き気とごく一般的な頸椎捻挫の症状であつて、特に不自然なところはないし、通院期間(実日数五七日)の点も不自然に長期期間ではない。

(二) 治療期間及び医院

(1) 通院 飯村病院

平成元年五月一〇日から同年八月一〇日まで(実日数五七日)

(2) 通院 国立神戸病院

平成元年五月二二日

4 被告の損害

(一) 治療関係費 合計金三八万〇七八〇円

(1) 治療費 金三三万二九〇五円

イ 飯村病院分 金三三万〇四九五円(コルセツト代を含む)

ロ 国立神戸病院分 金二四一〇円

(2) 通院交通費 金一万八九四〇円

イ 飯村病院分 金一万八二四〇円

(市バス往復交通費金三六〇円×通院日数五七日)

ロ 国立神戸病院分 金七〇〇円

市バス及び市営地下鉄往復交通費

(3) 治療関係文書料 金二万八九三五円

イ  飯村病院分 金二万八四二〇円(紹介証明料を含む)

ロ  国立神戸病院分 金五一五円

(二) 休業関係損害 合計金四五万七九六二円

(1) 被告は、本件事故当時、栄タクシー株式会社にタクシー運転手として勤務し、直近三か月間の合計給与支給額から算出すると、少なくとも一日当たり金七七三七円(六九万六四〇七円÷九〇)の収入を得ていたところ、本件事故のため平成元年五月一〇日から同年六月一九日までの四一日間休業を余儀無くされた。よつて、被告の休業損害は金三一万七二一七円(七七三七円×四一日)となる。

(2) 被告は、右休業によつて、栄タクシーの労働協約の定めるところに従い、平成元年七月一〇日に支給された賞与を金六万一四六三円減額され、また、同年一二月一〇日に支給された賞与も同様に金七万九二八二円減額された。

(三) その他の文書関係費 合計金一一〇〇円

(1) 交通事故証明交付申請料 金六〇〇円

(2) 印鑑証明書申請料 金五〇〇円

(四) 慰謝料 金六〇万円

(五) 弁護士費用 金一四万円

(六) 以上損害合計 金一五七万九八四二円

(七) 損害のてん補

被告は、損害のてん補として、自賠責保険から合計金一二〇万円の支払いを受けた。

5 結論

よつて、被告は、原告に対し、右損害残額金三七万九八四二円及びこれに対する本件事故発生の日の翌日である平成元年五月一一日から完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二 反訴請求原因に対する認否及び原告の反論

1 反訴請求原因1(交通事故の発生)及び2(原告の責任原因)の事実は、いずれも認める。

2 同3の事実は争う。

原告の反論は、本訴請求原因3における主張と同一であるから、これを引用する。

3 同4の損害の主張はすべて争う。

第三証拠

本件記録中の書証目録及び証人等目録に記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

第一原告の本訴請求(債務不存在確認請求)について

原告主張の請求原因1及び2の事実は、当事者間に争いがなく、本件事故に基づく原告の被告に対する損害賠償債務は、後記第二で述べるとおり存在しないと認められるところ、被告が右損害賠償債務が存在すると主張していることは、本件訴訟上明らかである。

そうすると、原告の債務不存在確認を求める本訴請求は理由がある。

第二被告の反訴請求(損害賠償請求)について

一  反訴請求原因1(交通事故の発生)及び2(責任原因)の各事実は、当事者間に争いがない。

二  そこで、被告主張にかかる傷害の存否ないし本件事故との因果関係について判断する。

1  先ず、いずれも成立に争いのない甲第四号証、乙第三号証、第四号証の一ないし四、第五号証の一、二、第六号証、被告本人尋問の結果によると、被告は、本件事故当日である平成元年五月一〇日飯村病院で診察を受け、右同日から同年八月一〇日まで同病院に通院し、その間の同年五月二二日国立神戸病院整形外科を受診し、それぞれ治療を受けたこと、右飯村病院での診断名は、頸椎捻挫、腰椎捻挫、骨盤打撲傷とされていることが認められる。

以上の事実からすれば、被告は、本件事故により右各傷害を負つたかの如く見えないではない。

2  しかしながら、他方、右1で認定の事実に、前掲甲第四号証、乙第四号証の一ないし四、いずれも成立に争いのない甲第一号証ないし第三号証、第九号証ないし第一一号証、乙第一、二号証、いずれも撮影対象については原告主張の写真であることに争いがなく、撮影年月日及び撮影者については証人園山正信の証言により原告主張の写真であることを認めうる検甲一号証ないし第六号証、いずれも撮影対象については被告主張の写真であることに争いがなく、撮影年月日及び撮影者については被告本人尋問の結果により被告主張の写真であることを認めうる検乙第一号証ないし第四号証、証人古池弥一郎、同園山正信の各証言、被告本人尋問の結果(ただし、証人古池弥一郎の証言及び被告本人尋問の結果中、後記信用しない部分を除く。)、並びに弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実を認めることができる。

(一) 本件事故当時、古池は、原告の所有にかかるタクシー営業車である加害車を運転し、本件事故現場である十字路交差点の手前で乗客三名を乗せ、右交差点内に進入したところ、乗客からの指示で左折、次いで右折を試みたが、いずれも不可能であったため、加害車の態勢を建て直して直進するべく、これを後退させたところ、加害車の約三・六メートル後方に停止中の被告運転の被害車(タクシー営業車)の前部に加害車の後部を衝突させたこと、右衝突時における加害車の速度は、人が歩くより遅い位の速度であり(前掲甲第一一号証によると、衝突の形式が車両の後退によるものである場合、現実的に衝突車が精一杯加速されて衝突する可能性ははなはだ薄いという。)、右衝突により被害車は後方に押し出されることなく、停止位置のままであつたこと、なお、被告としては、加害車の後退に気付き、衝突の危険を感じて、これに対する防御姿勢を取りうる余地が充分にあつたこと、

(二) 本件事故後の実況見分調書(乙第二号証)の記載によると、本件事故による損害の部位・程度・状況として、被害車について「前部バンパー凹損害」、加害車について「後部バンパー凹損」とされているところ、前掲検甲号各証及び検乙号各証を子細に検討すると、被害車の前部バンパーにも加害車の後部バンパーにも明瞭な凹損は認められず、せいぜい擦過痕程度の損傷が認められること、また被害車の右前部バンパーの奥に位置するフロントグリル部分に存在する歪みは、後記(三)で認定するとおり、加害車と被害車とは車高がほぼ同一であることから、両車両が衝突する場合には、被害車のフロントグリルに損傷が生ずる前に両車両のバンパー同士が衝突して、被害車の前部バンパーに明瞭な損傷が生ずる筈のところ、前述のとおり、被害車の前部バンパーに明瞭な損傷が認め得ない以上、本件衝突によつてフロントグリルのみに損傷が発生することは有り得ないから、本件事故とは無関係と考えられること、

(三) 加害車の車長は四六九センチメートル、車幅は一六九センチメートル、車高は一四四センチメートル、車両重量は一二九〇キログラムであり、被害車の車長および車幅は加害車と同一で、車高は一四五センチメートル、車両重量は一三一〇キログラムであつて、両車両の大きさ及び重量は殆どかわらないこと、

(四) 最近の自動車工学上の知見によると、先ず、本件事故の態様のように、衝突車両が後退して停止車両に衝突した場合、かかる衝突によつて被衝突車両の乗員に生ずる運動は、後方からの追突ではなく、前方からの衝突であるので、衝撃加速が前方に、すなわち身体が座席から前方に飛び出す方向に加わつたものと考えられ、右乗員がシートベルトを着用していたとすれば、頭頸部に前屈運動が生じ、その反動によつて後方に伸展するので、乗員の頸部に鞭打ち運動の生ずる余地があるが、被衝突車両が、右衝突によつてその停止位置を動かなかつた場合には、被衝突車両に衝撃加速度が加わらないから、乗員の頭頸部には何らの外力も加わらず、したがつて、頸部に鞭打ち運動が生ずる余地はないこと、また、後部バンパーの一部のわずかな凹損程度以下(車体変形二センチメートル以下)位の追突事故では、車両重量にかかわらず、被追突車両の乗員は受傷しないものとされ、後部バンパーの一部がやや強く凹損し、後部バネルにも軽微な凹損がある程度(車体変形五センチメートル位)でも、受傷の可能性は殆どないが、軽重量の乗用車では受傷の可能性を完全に否は否定できないとされていること、さらに、被衝突車両の乗員が事故を予測した場合には、身構えるため軽微な衝突では受傷することは考えられず、通常の座り方をしておれば、軽微な追突事故では、頭部や背面などをシートで打撲して治療を要する損傷が生ずることは考えられないこと、

(五) 被告が受診した飯村病院の診療録には、頸部捻挫及び腰部捻挫についての検査や客観的な他覚所見の記載がなく(もつとも、初診時頸椎、腰椎、骨盤のレントゲン撮影がなされたようであるが、その結果異常所見が認められたことを窺わせる記載はない。)、もつぱら被告の愁訴とそれに対する理学療法の記載に終始していること、

以上の事実が認められ、証人古池弥一郎の証言及び被告本人の供述中右認定に反する部分は前掲各証拠に照らしてにわかに信用できず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

3  以上に認定の事実を総合すれば、本件事故により被告が受けた衝撃は極めて軽微なものであつて、被告は、頸部及び腰部に殆ど衝撃を受けていなかつたと認められるから、この程度の衝撃で頸部捻挫、腰部捻挫、骨盤打撲傷の傷害を負うものとは到底考えられないというべきである。

そうすると、被告に前記各傷病があるとの診断があつたとしても、右診断の前提となつた被告の愁訴自体の真実性に強い疑念が存し、ひいては診断そのものに疑問があることが認められるから、右診断のみによつて被告が本件事故により受傷したとの事実を認めることはできないというほかなく、他に、被告の右受傷の事実を認めるに足る証拠はない。

三  よつて、被告の反訴請求は、その余の点について判断するまでもなく、理由がない。

第三結論

以上のとおりであつて、原告の債務不存在確認を求める本訴請求は理由があるからこれを認容することとし、被告の損害賠償を求める反訴請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 三浦潤)

事故目録

(1) 日時 平成元年五月一〇日午前二時一八分ころ

(2) 場所 兵庫県尼崎市神田北通三丁目三八番地交差点

(3) 加害車 普通乗用自動車

右運転者 古池弥一郎

(4) 被害車 普通乗用自動車

右運転者 被告

(5) 態様 古池が、加害車を運転して前記交差点で停止した際、乗客から右交差点を左折するように指示されたため、左折すべく加害車を後退させたところ、その後方に停止していた被害車の前部に加害車の後部を衝突させたもの

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